このたびは、私の音楽活動とは全く関係ないことを書きます(基本的には、このサイトの記事には音楽に関係のないことは書かないことにしているので、これは「番外編」です)。

 ある日、友人の芝田久さんが言った。
「アルコールテストのバイトがあるんですけど、興味ありますか?3日間で400ユーロですよ。」
 400ユーロと言えば、約6万円である。なかなか美味しいバイトではないか。
「アルコールテストって、どんなことやるんですか?」と私。
「ライデンの薬品研究所で、アルコール漬けの実験台にされるみたいですよ。でも怪しいバイトじゃないと思います。すごくちゃんとしたところみたいで、説明とかも凄く丁寧にしてくれます。」

 私は興味を持って、早速そこへ電話してみた。電話に応対してくれた人は、アンジェラさんという女性で、大変丁寧でフレンドリーな印象だった。話によると、アルコールテストは3日間だけだが、それ以外に説明と健康診断に各一日行かなければならず、合計5日行く必要があるとのことであった。

 研究所はライデン駅から徒歩10分。電子メールで送られてきた地図を頼りに現地に着くと、内容の説明が始まった。アンジェラさんのほかに、インターンのアレクサンドラさんという若い女性が一緒に現われた。説明は大変丁寧で、2対1で私がきちんと理解するまで親切に教えてくれた。この研究は、「白人と日本人では、アルコールに対する耐性がどの程度違うかを調査する」のが目的なのだそうだ。一般的に、日本人は白人に比べて酒に弱いとされているが、それが本当かどうかをリサーチするというもの(何を企んでいるのかオランダ人)。

 この研究では、私も含め日本人男性と白人男性がそれぞれ5名程度集められている。3日間のアルコールテストでは、5時間にわたって血液中にアルコールが注入され、酔っ払いの程度を測るとのこと。注入前と注入後にそれぞれ運動能力や反射神経をテストされる。ただし、プラセーボ効果(「気のせい」による効果)の試験のため、実際にはアルコールの入っていない日が一日含まれているそうだ。この日は約1時間半の説明で終わった。


 
研究所、ライデン駅から徒歩10分



 翌週、健康診断のため、再度そこへ向かった。前回の説明をきちんと理解した、という旨の契約書にサインし、健康診断が始まった。脈拍、血液検査、尿検査、血圧測定、身長と体重の測定などがあり、健康状態についての質問や運動能力テストなどもあった。
 健康状態の質問では、過去の病歴などの一般的な質問だけでなく、ちょっと変わった質問も含まれていた。中には、「あなたは、コカインやヘロインを嗜んでいますか?」とか「あなたは、他人に見えないものが見えたり、他人に聴こえない音や言葉が聴こえたりすることがありますか?」といった質問もあった。
 引き続き、運動能力検査。はだしでのつま先歩きやかかと歩き、「目を閉じて人差し指の先で鼻の頭に触りなさい」などの検査があった。
 最後に、アルコールテスト当日に実施されるテストの練習。
 当日行われるテストは3種類。
1.首を固定され、赤い光を目だけで追うという「アイ・ムーヴメント・テスト」(1〜2分間)
2.コンピュータのディスプレイに不規則に動く円が表示され、それを同じディスプレイに表示される点を操作して追っかけるという「トラッカー・テスト」(3分間)
3.腰に紐をつけ、目を閉じたまま立つ。立った姿勢の安定性を計る「ボディ・スウェイ・テスト」(2分間)


 
アイ・ムーヴメント・テストの装置(左)。手前に顎を乗せ、目だけで赤い光が左右に動くのを追う。
ボディ・スウェイ・テストの装置(右)。私の立った状態の安定性を調べることができる。



 いよいよ当日、朝7時の電車に乗り現場に到着すると、芝田さんに会った。
「芝田さんも今日だったんですか」
「おはよう寺内さん。いよいよですねえ。」
 朝食前、両腕に注射をされた。左腕はアルコール注入のための注射、右腕は採血のための注射である。特に右腕に刺された針は太く長いうえ、それを根元まで刺すので、想像するだけでも嫌だった(私は血が怖い。痛いのも怖い)。刺された注射は、その日一日刺しっぱなしになるらしい。採血のときには、針についたネジをゆるめてそこから血を採る。
 朝食は、パン、簡単なおかず、牛乳グラス1杯、果物がひとつだった。
 9時、芝田さんとは別室に行き、頭にたくさんの電極が付けられた。これは脳波を計るためのものだそうだ。
 間もなく、点滴開始。アルコールなのかプラセーボなのか、私にはわからないようになっている。11時頃まで、ほとんど休憩なしで、ずっとテストをさせられる。「ボディ・スウェイ」は1日に決められた時間、合計25回消化しなければならない。他にも、首を固定された「アイ・ムーヴメント」が20回。「トラッカー」を10回。これらを次から次へとローテーションでやらされるのであった。午前中はほとんど休憩がなく、ひたすらテスト、テストが続く。「寝て点滴されるだけで、たまに採血とかテストがあるだけの楽なバイト」を想像していた私は、このハードな内容に驚いていた。
 また、酔いも感じ始めていた。「たぶんこれはプラセーボではなく、アルコールだろうな」と思った。


  
酔っているため、顔がとろんとしている(左)。 点滴を入れるための注射(右)。



 11時を過ぎた頃、ようやく休憩時間が訪れた。芝田さんが顔を真っ赤にしてソファーにもたれている。
「大丈夫ですか?」と訊ねると「大丈夫じゃないです。かなーり酔っています。あのテストもホンマに苦痛。もうやめたい。もう帰りたい。」 
 本当に辛そうである。私も酔っていたが、彼ほどではなかった。
 そういえば、3回の内、1回はプラセーボだが、1回は強いアルコールの日があると聞いていた(本人には、その日のアルコール濃度は知らされない)。芝田さんの酔い加減を見ていると、彼はこの日、強いアルコールを注入されたと思われる。ということは、芝田さんと比較して(個人差はあるものの)、私は中くらいの濃度のアルコールなのかもしれない。私は、残り2日のうちの1日に、この強いアルコール注入が待っていると思うと、怖くなった。



休憩中、芝田さんが休憩室のソファーでくたばっている。
この写真ではわかりにくいが、実際には彼の顔は真っ赤であった。



 またしばらくテストが続き、午後1時30分、ようやく昼食である。しかし何故か芝田さんは昼食時には現われなかった。ちなみに、昼食はセルフサービスである。左手に点滴が刺さっているため、右手しか使えない。一皿一皿キッチンからテーブルに持っていく。メインの皿、スープ、飲み物、果物で、合計4往復。食事の準備に10分以上かかる。食事の時間は20分しかないので、時間内に食べ切れなかったが、続きは次の休憩時間に食べて良いとのことで、そのままテーブルに食べかけの昼食を残して、午後のテストが始まった。


昼食



 午後のテストも相変わらず午前と同じ単純なテストの繰り返し。ただし、午前に比べると休憩時間が頻繁になり、その分楽になった。15分テストしては15分休憩、というペースである。
 15時30分、ようやく左腕の点滴が外された。これだけでもずいぶんストレスが減る。採血は18時30分まで続くので、右腕の針は刺さったままであるが。
 17時頃、「ああ、もうすぐ終わる。」と自分自身に声援を送っていた。その時、職員の方から、「芝田さんは具合が悪くなったから、別室で寝ている」との情報が入ってきた。怖い。
 18時30分、いよいよ終わった。右手の針が抜かれる瞬間の嬉しさ、開放感は、本当に素晴らしかった。到着時からこれまでの10時間30分の間、医師やナース達は2度交替した。職員達はパートタイムで自分の担当時間が過ぎると帰ってしまうのだった。

 夕食前、芝田さんと会う。聞くところによると、彼はアルコールのために気分が悪くなり、トイレでゲーゲー吐いていたそうだ。その時点で、テストは中止、別室に運ばれたとのことである。夕食時には、彼は歩けるほどに回復していたものの、まだ顔色は悪かった。
 自分で飲むのなら自分なりに酒の量を調整できるが、このテストでは点滴で強制的に血液中にアルコールを入れられるので、自分なりの調整ができない。彼は早くも「割に合わない仕事だあ」とこぼしていた。
 帰り道、体がフラフラしていた。アルコールを注入されたことや、何度も同じテストをさせられた疲労、そして1日25回の採血によって血液が不足していたことなどが原因であろう。


 2日目が来た。2日目と言っても、前回からは数日経っている。このテストは、「被験者の健康への配慮」と「正しいデータを取る」という目的のため、連続して行うことは許されていない。最低でも3日間休まなければ、次のテストは許可されないのだ。
 1日目は偶然芝田さんと同じ日だったが、この日は知り合いはいなかった。
 日程は1日目と全く同じ。違うのは注入されるものの中身が違うだけである。おそらく、この日が私にとって最も強いアルコールを注入されたのだろう。午前10時頃をピークに、ひどく酔っ払ってしまった。芝田さんのように吐いたりはしなかったが、笑いが止まらなくなり、特に「ボディ・スウェイ・テスト」の2分間、ずっと笑っていた。目を閉じて直立した姿で笑っているのは、はたから見ると凄く不気味だろう。そう思うと余計に笑ってしまうのだった。そのテストは体の安定性を計るためのものなので、私のように笑っていては、当然ながら良い結果は出まい。
 興味深く感じたのは、息のテストである。飲酒運転取締りなどで使われる呼気測定が1日に25回行われるのだが、自分でも息が酒臭いのが感じられた。口からは一滴もアルコールを飲んでいないのに、息が酒臭いというのは、不思議な気がした。
 また、テスト以外に、様々な質問もされる。今の気分は興奮しているか、それとも退屈しているか、幸せか悲しいか、外向的か内向的かなどの、自分の気分に関する質問が15問。これは一日10回。この他、酔いに関する自己申告をしなければならない。「酔ってきました」「頭が痛いです」「酔いが覚めてきたような気がします」などである。担当者が私の言葉を書き取り、時刻とともに記録している。難しいと感じたのは、「酔いが覚めてきてる気がします」と言った時、「それはいつですか?」と聞かれた時だ。ある時突然酔いが覚めるわけではないのだから、いつですか?と聞かれても困る。「何となく、今」と答えるしかない。
 

 3日目、いよいよ最終日。再び芝田さんと一緒だった。
 私はこの日、「今日はプラセーボだな」ということは予想していた。前回と前々回、私ははっきりとした酔いを感じていたからだ。
 私の予想は当たっていたと思う。この日は全く酔いを感じなかった。だが、しらふである分、膨大なテストには余計に苦痛が伴った。また、明らかに私にはプラセーボだということがわかっているにも関わらず、決まり通り一日25回の呼気測定と採血はしなければならず、馬鹿馬鹿しささえ感じた。
 つらい時には、「今日が最終日。乗り越えれば400ユーロ」と自分に言い聞かせた。
 休憩時間には、待合室で、テレビや雑誌、インターネットなどを楽しんでも良い規則になっていたが、休憩時間は短く、なかなか遊ぶ暇などなかった。この日は他の人も何人かいたが、どうやら私たちとは実験の種類が違うらしく、とても暇そうにテレビをみたりお喋りをしたりしていた。きつい仕事を強いられている私たちは、暇そうにしている彼らがとても羨ましかった。
 だが、午後からはずいぶん慣れてきた。あまり余計なことを考えずに、植物にでもなったつもりで、淡々とテストをこなした。
 いよいよ18時30分、すべてのテストが終了。夕食を終えて19時30分に施設をあとにした。外の空気が美味しかった。


 
記念写真。この日は私にはアルコールは入っていなかったものと思われるが、
芝田さんにはアルコールが注入されていたようだ。


 余談だが、今回のテストで、私は「日本人代表」という立場にいたことになる。このテストの被験者は私だけではないが、私のアルコール耐性のデータは、「日本人のアルコール耐性」の資料の一部になるのだ。そう思うと、少しだけ感慨深かった。日本人代表、私にとっては初めての経験であった。







今回の苦難を共にした芝田久さんのファッションショーの映像はこちら

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寺内大輔サイト記事番外編:アルコールテスト体験記

2006年4月〜6月 Center for human drug research、ライデン

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