2005年5月2日、ビムハウスで即興演奏をした。ビムハウスは、ヨーロッパ屈指のジャズスポットとして名を馳せているが、実際にはジャズだけでなく現代音楽や自由即興演奏なども幅広く演奏されている。3月に移転したばかりで、建物はまだ新しく、音響も乾いた印象を受けた。
 

  
アムステルダム中央駅北口(海側)から徒歩5分の、新ビムハウスの建物。
まだ工事中の箇所も多い。



 この日のメンバーは、即興演奏家3名、ダンサー4名、照明家1名による計8名である。


 この日は、30分程度の演奏を2度行った。打ち合わせをほとんどしない即興演奏では、本番にどのような音楽になるかわからない。始めはお互いに様子を窺いつつ音を出し、ダンサーは踊っていた。だが、途中から次第に演奏が「お笑い系」へと変わっていった。ここで少し、音楽における笑いについて考えてみたい。

 「お笑い系」の音楽自体は、さして珍しくはない。ポピュラー音楽の分野では、アル・ヤンコビックやトニー谷、嘉門達夫などが有名だし、クラシック音楽の伝統においても、ハイドンやモーツァルト、カーゲル、川島素晴などの作曲家が、音楽によってユーモアを表現している。
 アル・ヤンコビックやトニー谷が、音楽だけでなく言葉や動きとともに笑わせるのに対し(むしろ音楽よりも言葉や動きによるところが大きい)、ハイドンやカーゲルは音楽的ユーモアの割合が高い。言葉や動きと違い、意味をもたせづらい音楽ではユーモアを伝えることが難しいが、だからこそ面白い部分もある。私も、声による即興演奏を行っている時、聴衆の何人かが笑ったり、笑いを堪えたりしているのを見ることがある。だが、一方で私の演奏から「悲しみ」「怒り」の感情を受け取る方もいる。聴衆の反応は千差万別だが、こうした曖昧さは、意味を明確にしない音楽ならではの表現であろう。

 さて、ビムハウスでの演奏に話を戻そう。私は終演後、「なぜ演奏がお笑い系に流れていったのか」考えていた。出演者の誰かが、何かのきっかけを作ったわけではない。ただ何となくそのように流れていったのである。最初から「笑い」を狙っていたわけではなかったが、何かの拍子に客席から笑いが湧いた。おそらく音楽家達が出す音の、可笑しな「間」や、音楽やダンス(あるいはその両方)の奇妙な組み合わせが、聴衆の笑いを誘ったのであろう。何度かそのようなことが起こると、全体のムードが変わっていく。言うまでもないが、お笑いにはムードが重要だ(ムードさえ良ければ、さして面白くなくても笑いは起こるものだ。)。出演者達は、そうしたムードを感じ取り、暗黙のうちに笑いを取る表現へと流されていった。
 始めは、音楽的な「間」や動きとの組み合わせで笑いを取っていた我々だったが、次第にエスカレートし、小道具を持ち出し、言葉を交え、音楽家達が慣れないダンスをし、ドタバタ感が増していった。
 それらは見事に成功した。客席からは笑いが絶えず、終演後の評判も良かった。しかし、公演の成功を喜ぶ一方「これで本当に良かったのだろうか?」という気持ちもあった。聴衆を笑わせるのは嫌いではない(むしろ好きだ)が、あまりにも「笑い」を狙っていることが明らかな演奏では、音楽やダンスそのものへの意識が薄れてしまう。どうやら、私自身の笑いの嗜好は、あからさまな笑いではなく、先に述べたような抽象的で意味を持たない音楽ならではの笑いであるようだ。

 ここで、もう少し大きな問題にも目を向けたい。今回の演奏で、次第にドタバタ感が増していったことはすでに述べたが、一度そうなると、なかなかそれに反する表現ができなくなるのだ。これはお笑いに限ったことではなく、集団で即興演奏をする際のもっとも根本的な問題である。小さな音で静かに即興演奏をする者に対し、大きな音で賑やかに演奏する者は、それを支配することが出来るだろうが、逆は無理である。即興演奏に参加する人数が多ければ多いほど、そして表現が自由であればあるほど、音楽はうるさく大味なものになりがちである。言い換えれば、ただの「目立ち競争」「刺激中毒の音楽」に成り下がってしまう危険があるのだ。繰り返して言うが、今回の演奏は成功した。より強烈で刺激的な方向に音楽が流れていったことが、良い結果を生んだ。だが、それらが何となく流された結果なのか、意識して行った結果なのかは疑問である(実際、あの場には出演者達が容易に抗えないほどの「ドタバタ笑い」への急流が存在していたのだ)。
「抽象的な笑い」「静かな音楽」といった穏やかな表現が集団即興演奏の牽引力となり得るためには、演奏者全員による「場」の徹底的な観察が必要だ。その瞬間何が起きているのか、どこへ向かおうとしているのか、共演者は何を求めているのか、今自分がすべき適切なこととは何か、演奏中には多くのことを徹底的に観察しなければならない。
私は、そういった観察力こそが即興演奏家にとって最も重要な能力である(演奏技術などよりも)と確信している。




  


  


  


  


  


写真協力:三宅 珠穂

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集団即興演奏を導くもの
  〜ビムハウスでのお笑い即興演奏〜

2005年5月2日 アムステルダム、ビムハウス

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