2006年1月26日、ダンサーと音楽家総勢9名がアムステルダム中央駅を発った。ヴィーン他2箇所で、即興演奏の公演を行うためである。
 ミーティングポイントとは、アムステルダムのジャズライブスペース「ビムハウス」で毎月第1月曜日に行われるダンスと音楽による即興コンサートの名前である。ダンサーのValeria Primostと、ドラマーのMarcos Baggianiが中心となって企画を進めており、毎回違ったメンバーによって構成される。オランダ在住者が多いが、時には外国からの出演もある。
 以前、私がこのイベントに出演したとき、オーストリアから参加していた音楽家Michael Fischerが、「今度はうちの国でもやろうぜ」と、ミーティングポイントをオーストリアに紹介してくださったのだ。


 日程とメンバーは次の通り

1月27日:ジャズと即興演奏のフェスティバル“artacts 06”出演
     会場:Alte Gerberei(チロル地方の聖ヨハン)
1月28日:ミーティングポイント・オン・ツアー・コンサート
     会場:紙工場ミュージアム(Steyrermuhl)
1月30日:ミーティングポイント・オン・ツアー・コンサート
     会場:im_flieger, WUK(ヴィーン)

ダンス:
Valeria Primost
Diana Gadish,
Isabel Olle Carpintero
Pere Gay i Faura

音楽:
Daisuke Terauchi(voice, theremin, electronics)
Peter Huber(trumpet, electronic devices)
Marcos Baggiani(drums)
Michael Fischer(soprano saxophone, violin)
Tamaho Miyake(30日のみゲスト参加)(theremin, electronics)



 20時にアムステルダムを出発した夜行列車は、翌朝ミュンヘンに到着予定だった。途中、車掌さんが見廻りに来た際、「武器やドラッグは持っていませんか?」と尋ねられたが、これには一同戸惑ってしまった。そういう質問をされて、正直に「はい、持っています」と答える人が果たしているのだろうか(一瞬、車掌さんのギャグかと思ったが、そういう雰囲気ではなかった)。4人部屋の寝台は意外と快適だったが、空気が乾燥しているので、喉のケアのためにマスクを着けたまま睡眠。

 
寝台車の様子



 翌朝、ミュンヘンで乗り換え、お昼前にチロル地方の聖ヨハンに到着。聖ヨハンは、スキー場の町で、「いかにも観光地」といった趣だったが、静かでのどかな町だった。

 
チロル地方の聖ヨハン、のどかで美しい


 ここでは、27日から3日間、ジャズと即興演奏のフェスティバルがあり、私たちを含
め、7組が参加していた。決して都会ではないこの町で、一体どれだけお客さんが集ま
るのだろうと、少々不安に感じていたが、会場は満席となった。

 

 
フェスティバル(Artacts '06)のポスター



 公演は、まずまずの成功だったが、どうやら私は少し引っ込みすぎていたらしい。終了後にMichaelから「ダイスケ、大丈夫か?今夜お前はあまりゲームに参加していなかったように見えたが」と指摘された。慎重に周囲の動きに集中するあまり、さほど派手な音を出さなかったためだろう(前回Michaelと共演した時には、私は派手な音を出して目立ちまくっていた)。だが、私は目立ちこそしなかったが、他の音楽家を支えるために的確な音を選んでいたという点では自信があった。もしかしたら、音楽家4名という人数も原因のひとつかもしれない。例えばこれが3名だったなら、お互いの役割が瞬間ごとに捉えやすいのだが、4名というのは全体のバランスの把握が比較的困難だ(即興演奏の経験の無い読者は、「3名による会話」と「4名による会話」を比較して想像してみると良いかもしれない)。

 

 
公演の様子



 この日はもうひとつ反省すべきことがあった。演奏終了後、控え室に戻った私たちは、すぐさま「お疲れ様ー。終わったねー。良かったねー。」などと抱き合い、お互いに全力を尽くしたことを称え合った。だが、そんなことをしていたために、客席で鳴り止まなかった拍手に気づかなかったのである。一度きちんとステージに出直して、客席に礼をすべきだったのに、私たちはステージに戻ることをすっかり忘れていたのだった。

 この日は、私たちの他に2組が出演。1つは典型的なアメリカのジャズといった感じだった。それ自体は別に嫌いではないのだが、サクソフォンがあまりにもナルシスティックな演奏をするので、あまり好きになれなかった。もう1つは、ロックとノイズを足したようなバンドで、音楽は悪くなかったが、あまりにも音量が大きいために隣の控え室で聴いてもちょうど良いくらいであった(通常、ロックやノイズの音楽というのはたいてい音量が大きいものだが、それにしても彼らは大き過ぎた)。

 2日目は、Steyrermuhlという町にある紙工場ミュージアムでの演奏会だった。小さな町だったが、客席は満席だった。Michaelやオーガナイザーの尽力の賜物であろう。

 
紙工場ミュージアム


 この日は持ち時間が多いので、第1部はくじ引きをして8名を3名、2名、3名という3組に分けて演奏することにした。まず、私とMarcos、Dianaが先陣を切った。この3人は、これまでも度々共演したことがあり、お互いを良く知っている。この日は私ははじめから「今日は目立とう」と決めていたので、始めから音楽をリードする位置にいた。MarcosとDianaも、上手についてきてくれた。続いて、PereとIsabelによるダンス・デュオ。ここでは音楽家がいないので、二人は無音の中を踊らなければならない。二人は「音がない」ということを意識しすぎたのか、踊りながら体で音を出したり、楽器を鳴らしたりしていたのだが、私にはそれらは余計に感じられた。もっと沈黙を信頼すれば、より面白くなるだろうに、と感じた。最後にValeria、Peter、Michaelの3人による即興演奏だった。その前の沈黙を反映してか、3組のうちダンスも音楽も最も派手なものとなった。

 第1部を終え、休憩を挟み、第2部が始まるのだが、第2部のはじめに予想外の出来事があった。Michaelが控え室で、「今日のお客さんは即興演奏の演奏会に慣れていない。この演奏会がどういうものか、ということを説明した方が良い。」と言い出したのだ。休憩中、多くのお客さんから演奏に対する質問が寄せられたのだと言う。「あの日本人(寺内のこと)は何を喋っているのか。」「これはどういうジャンルの音楽なのか。」等々。その場で起こっている音楽について、同じ場で言葉による説明をするというのは奇妙なものだが、そういった質問が多く寄せられたということは、その分私たちのステージに興味を持ってくれたということでもある。こういう真面目さは、ドイツ語圏の人々の気質なのだろうか。

 Michaelの説明から第2部が始まった。「私たちは、音楽もダンスも完全な即興演奏によって作ります」とか「ダイスケは、意味のある言葉ではなく、意味のない音を言葉のように演奏して音空間を作ります。」などと説明していたようだ。第2部では、全員で演奏するのだが、音楽は次第に盛り上がり、最終的には全体的にとても派手な音楽になった。私が派手にやろうとしていたので、他のメンバーもそれに刺激されたのかもしれない。最高潮時には、一人でテルミンを弾きながらカオスパッドでエフェクトをかけつつ声も出す、という忙しい演奏を行っていた。

 派手な演奏のせいか、演奏終了後は爽快感があったが、私は直観で「何かが足りない」と感じた。ここで最後に2〜3分の短い演奏を行ったら、第2部の派手な音楽とのバランスが取れるのではないかと考え、控え室の皆に提案した。皆は賛成してくれたが、お客さんはすでにミュージアムのロビーに移動しているようだった。誰かが「じゃあ、ロビーでやろう」と言い、ロビーで演奏することになったのだが、人々が歓談している場に乱入して演奏するのは、他のメンバーにとっては慣れていなかったのかもしれない。空間をうまく生かしきれず、無駄に動き回った挙句「これでは、場がもたない」と感じ取ったのだろう。早々とその場から引き上げてしまった。私は、「ここで私までいなくなってしまったら、ここでの演奏が無意味なものになってしまう。」と感じ、最後の一人となってリコーダーを演奏した(路上演奏の気分である)。

 

 
公演の様子


 この日の演奏に対する評価は、果たしてどうだったのだろう。休憩時間中に様々な質問が寄せられたことや、第2部終了後、お客さんがさっさとロビーに行ってしまったことなどから、「お客さんへの受けは悪かったのか」などと心配もしていた。打ち上げの席で、そこのミュージアムの職員の方に、「今日の演奏についてどう思うか。」と聞いてみた。「あなたの言う通り、不慣れな音楽とダンスに戸惑っていたお客さんは多かったと思う。だけど、だからこそ刺激的で良かったんじゃないかしら。私は好きよ。」とのご意見だった。

 また、打ち上げの席ではダンサーから音楽家への苦情もあった。「第2部での音楽が熱狂的になりすぎて、踊りにくかった。音楽家はダンサーを置いてけぼりにして盛り上がった」という意見であった。この話は翌日まで持ち越され、話し合われた。様々な意見があったが(Michaelからは「ダンサーが踊りにくいだなんて、それは彼らの技量の不足だよ」という過激な意見も挙がった)が、音楽家がダンサーの動きに目を凝らし、ダンサーが音楽に耳を澄ますことを注意深く行うことが大切なのは当然のことだ。そこに意識を置きつつ、ヴィーンでの最終公演を迎えることとなった。

 29日、ヴィーンに到着。この日は演奏会はなく、ヴィーン観光を楽しんだ。初めて訪れたヴィーンは何もかもが新鮮だったが、特に印象的だったのは街の雰囲気である。18,19世紀の作曲家達が神様のように崇められ(あちこちに作曲家を記念する銅像などがある)、クラシック音楽にゆかりのある建物もたくさんある。どちらを向いてもクラシック音楽で、分野は違えど日本の「秋葉原」を連想させる程にディープな世界であった。エリザベト音楽大学の後輩で、バリトン歌手として活躍している奥村泰憲氏と再会し、観光案内をして頂きながら、楽しい時間を過ごした。

   
モーツアルトが結婚式を挙げた聖シュテファン大寺院(左)、ウイーン楽友協会(右)



 30日、いよいよヴィーンでの最終公演である。この日は私たちを招いてくれたMichaelの地元でもある。前半はミーティングポイント8名でのステージ、休憩をはさんで後半は、ゲスト参加の三宅珠穂と地元のミュージシャン1名、地元のダンサー1名が加わってのステージだった。演奏は、それまでの2回の公演の反省を生かし、とても良いものになった。後半も、ゲストミュージシャン達との相性も良く、良いステージが作れたと思う。音楽家が多くなったので、私はダンスにも参加した。

 正直なところ、ヴィーンでの公演にも不安があった。あんなに18,19世紀の作曲家達を崇めている、「クラシック音楽の聖地」のような場所で、私達の音楽が受け入れられるのだろうかという不安である。私はヴィーンの音楽事情に詳しいわけではないが、Michaelも、「ヴィーンでも、即興演奏はあまりメジャーではない」というようなことを言っていたし、ある音楽学者が「実際、20世紀以降、ヴィーンではほとんど新しい音楽は生まれてこなかった。彼らは18,19世紀の音楽に満足し、ウインナーワルツを踊っていたのだから。」と言っていたのを聞いたこともあった(「新ヴィーン楽派」として有名なシェーンベルク達は、当時ヴィーンでは受けなかったそうである)。だが、そういう町でも、即興演奏のファンはいて、私達の演奏を楽しんでくれた。


 

 

 翌日、朝4時に起床し、スロヴァキア発の朝一番の飛行機でアムステルダムに帰った。



 
 余談:聖ヨハンのホテルで見つけたチラシ「シンギングボウルマッサージ」。

 こういう商売があるとは知らなかった。私もこの楽器を愛用しているが、マッサージを目的とした使い方は知らなかった。どんなマッサージなのか、気になるところであるが、これを受ける時間がなかったので断念。



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報告:ミーティングポイント、オーストリア公演
   
Meeting point on tour
2006年1月26日〜31日
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