「仮面舞踏会」は、スウェーデン国王、グスタフ3世の暗殺事件(1792年)をもとに、ソンマ(1809-64)が台本化したものである。しかし、政治的な内容ゆえに、当初予定されていたナポリでの上演が禁止となった。その後、台本に変更を加え、ローマで初演された。
登場人物と声
登場人物と、その声に注目しよう。この作品には、様々な声が取り揃えられている。
リッカルド。堂々たる威厳、磨きぬかれた気品、そして熱き苦悩。これほど豊かな表情を要求される声は、他のオペラ作品と比較しても稀有である。
レナート。リッカルドから最も信頼され、真に尽くし続けた職業人としての謹厳さがにじみ出る。だが、彼が暗殺計画を語るとき、その声は非情な冷酷さを持って我々を揺さぶる。
アメーリア。恋人への情熱と、母としての愛情を併せ持つ彼女の声は、洗練された女性の魅力を醸し出す。ヴェルディは彼女に、装飾的で派手な歌を与えなかった。叙情的で禁欲的な彼女の声は、リッカルドとレナートとの間に置かれることによって、さらに輝きを増している。
そしてオスカルとウルリカ。彼らもまた、この作品における声の多様性に大きな役割を果たしている。
イタリアオペラの真髄は声だと言われる。声を聴かせるオペラ。しかし、ヴェルディのそれは、決して技巧に溺れるものではない。劇的で情緒に満ち溢れる旋律は、人物の性格や状況を、的確に描写する。
オーケストラ
その効果は、単にムードや色彩を豊かにしているだけではない。注目すべきは、それらがすべて、声のために書かれているということだ。オーケストラが効果的でありながらも、常に声を引き立てている。こうした両立は、実のところ たいへん難しいものだが、彼の洗練された腕前は、それを見事に実現させている。
空間の妙
禁じられた恋、苦悩、陰謀、失望、裏切り。この作品では、様々な思惑と感情が交錯している。それらは、各場面の中で、常に共に存在しており、きわめて多面的な空間を構成する。
第1幕 宮殿の広間〜占い師ウルリカの館
前奏曲。リッカルドの愛の旋律が上昇していく。暗殺者たちの歌の緊迫感との対比は、これから始まる複雑な感情劇を象徴するかのようである。
宮殿の広間。音楽は前奏曲からそのまま導かれる。為政者リッカルドを慕う民衆と、彼を憎む暗殺者たち、そしてリッカルドの愛の旋律、これらの絡み合いによる巧みな効果は、この後も度々聴かれるであろう。
ウルリカの館への潜入を企むリッカルドの好奇心とともに、オスカル、レナート、暗殺者たちが、小気味良く交替しながらそれぞれの思惑を歌う。そのスピード感とエネルギーは、聴き手を力強く音楽へとひきずり込む。
ウルリカの館。ここでも、各登場人物が様々な思惑を抱いており、複雑な場面を展開する。だが、最たる魅力は、何と言ってもウルリカの存在感であろう。彼女の神秘的な声は、圧倒的な力を持って空間を支配する。
第2幕 処刑場
処刑場。ここでのアメーリアとリッカルドの2重唱は、作品中最大の見せ場のひとつである。音楽は、ふたりの切ない想いとともにじわじわと高揚していく。そして「あなたを愛しています。」というアメーリアの気持ちの吐露とともに、オーケストラは甘い旋律を高らかに歌い上げる。美しい旋律が、愛の告白と一体となり、陶酔へと導く。
第2幕のフィナーレでは、暗殺者の歌が、レナートの絶望とともに歌われる。それにしても、暗殺者たちによる「ハ、ハ、ハ」という嘲笑は、何と神経に障ることか。暗殺者たちも容赦がないが、これほどまでに効果的な音楽を書いたヴェルディも容赦がない。
第3幕 レナートの自宅〜仮面舞踏会
レナートの自宅。アメーリアの歌うアリアでは、美しいチェロの旋律がアメーリアの歌と調和しているさまを聴くことができる。一方、レナートは、「お前が私の魂を汚した」と罵り歌う。だが、その中で、彼の心中によぎるのは、アメーリアとの思い出。ハープとフルートが美しい。
暗殺者たちとの謀議が終わる頃、何も知らないオスカルが仮面舞踏会の招待状を持って現れる。オスカルの声も興味深い。彼の(女声によって演じられる役だが)リズミカルで透き通った声は、苦悩に満ちたこの物語の中で輝き、作品の絶妙なアクセントとなっている。
仮面舞踏会。これまで別々に回っていた歯車がかみ合い、ともに悲劇に向かって動き出す。音楽は、美しくも淡々と、全ての運命を絡め取っていく。リッカルド、レナート、アメーリア、そして民衆たち、それぞれ失ったものは違えど、そこに漂うのはきわめて空虚な喪失感である。瀕死のリッカルドの歌うアリアは、この喪失感を見事に表わしている。
我々は、ここに来て、この物語の核心を再考させられるだろう。誰もが自分の善かれと思う道を選ぼうとしていながら、なぜこの悲劇が起こったのか。そして、ヴェルディがこの作品を通して我々に何を語ったのかを。
本公演では、解説だけでなく、チラシの文章も書きました。
この作品は 何を語るのだろう
暗殺の陰謀があるが 政治的な話ではない
禁じられた恋があるが メロドラマではない
失望と裏切りがあるが 復讐の話ではない
これらは 物語の核心に 直接手を下さない
ひとつひとつの状況が 僅かな可能性の中で 新たな状況を作り出すだけだ
にんげんは状況によわい
偶然作られた状況は 彼らをつき動かすには充分だ
運命が全てを準備した時 仮面舞踏会の幕は開く
陰謀も 恋心も 復讐心も やがて かなしみに変わるだろう
ただ 失うこと だけが 雄弁に語られるのだ